2009年06月15日

ヨーロッパ周辺地域においては歴史上古くから

ヨーロッパ周辺地域においては歴史上古くからワイン造りが行われている。代表的な産地はフランス、イタリア、スペインなどであり、名だたる高級ワインを生産している。近代以降になってワイン造りが始まった地域は「ニューワールド」と呼ばれる。安定した気候や企業的経営を背景に、一般消費者でも手軽に買い求められるワインを生産している。近年ではニューワールドワインの品質向上も目覚しく、ヨーロッパの名醸ワインをしのぐ品質のワインも出てきている。

2007年頃からは“ブランド物でなければワインなどどこの国の物も同じ”とニューワールド物に流れる傾向が強まり、ワインが売れずに廃棄されたり、フランスでは一部の零細ワイナリーが廃業したりする事態になって来ている

フランスワイン
フランスでは、多かれ少なかれほぼ全土でさまざまなワインが生産されている。その最上のものは今なお世界の規範とされる。1935年にAOC法を制定し、国を挙げて品質の維持・向上に取り組んでいる。
イタリアワイン
イタリアでは、恵まれた気候のもと国土全域で多彩なワインが生産され、生産量・海外輸出量でフランスと毎年一位を争っている。ピエモンテ、ヴェネト、トスカーナなど北部諸州の名醸地が特に知られる。近年では、量から質への転換が図られている。
ドイツワイン
ドイツはその地理的要件から、葡萄の栽培が南部の地方に限られる。この地は葡萄の生育できる北限とされ、主にライン川やモーゼル川の支流沿いでワインが生産されている。冬季、時にクリスマスにはシナモンなどスパイスを利かせたホットワイン、『グリューワイン』が飲まれる。
スノーボード
ベジタリアニズム
キャラクター
絵画
甲殻類
潮干狩り
相撲
就学前教育
月経
緩歩動物
エイズ、HIV感染
信越地方
切り絵
鳥類
新婚旅行
盆栽
夜景
御節料理
カーナビゲーション
里山

イギリスワイン
イギリスはウィスキーやビールの生産量がはるかに多いものの、ウェールズ地方では少量のワインが生産されている。また、近年の温暖化の影響により、イングランド全土でワインの生産が可能になり、殊に発泡ワインは、UKワインとして広まり始めている。
スペインワイン
スペインはフランス、イタリアに次ぐワイン生産国である。北部のラ・リオハ地方及びカタルーニャ地方、中部のラ・マンチャ地方、南部のアンダルシア地方が有名な産地である。
ポルトガルワイン
ポルトガルでは、北部のダン地方、ヴィニョ・ヴェルデ地方及びアルト・ドウロ地方が有名な産地である。ポルトガル北部では独特の酒精強化ワインであるポートワインが生産される。
オーストリア
オーストリアがドイツ語圏である事から、そのワインもドイツに似た甘味のある物が主体と考えられがちであるが、実際には貴腐ワインやアイスワインといったごく一部を除き、ほとんどが辛口である。ヴァッハオ、クレムスタール、カンプタールを擁するニーダーエスタライヒやノイジードラーゼー周辺とその南部のブルゲンラント、更に南のシュタイアーマルクといった地方が比較的有名である。1985年に発覚した「ジエチレングリコール混入事件」を機に、輸出市場は一度壊滅的打撃を受けたが、以来世界一とも評される厳密な規制が設けられたため、品質が急激に向上した。日本への輸出もここ数年大きく拡大している。栽培面積の3分の1を占めるグリューナー・フェルトリナー種で名高いが、質的にはリースリングも重要。また、最近では赤ワインの醸造水準の向上も目覚ましい。
ハンガリー
ハンガリーはブルゲンラント、ショプロン、ヴィッラーニなど有名な産地を抱えて有名で、中でもトカイのトカイワインは世界三大貴腐ワインの一つに数えられ、世界的に有名である。
モルドバワイン
モルドバは古くからブドウが自生していた地域の一つで4千年から5千年前にはすでにブドウの収穫およびワインの製造が行われていたらしい。地理的且つ歴史的理由から主にロシア帝国ないしはソヴィエト連邦に於いて消費をされており、ソヴィエト連邦時代に市場に出回っていたワインのおよそ7割がモルドバ産だった。独立後15-6年をへて少しずつ西側市場に出回り始めている。土壌及び趣向の違いから独特の風味を持っている。
北アフリカ
古代よりローマ文明の影響下にあったエジプトでは、ビールとともにワインは古くから作られてきた。また、近代において長くフランスの植民地であったモロッコやアルジェリア、チュニジアなどで、地中海性気候を利用してブドウを栽培し、ワイン生産を行っている。

2009年05月29日

倫理学

倫理学 (りんりがく Ethics)あるいは道徳哲学(どうとくてつがくMoral philosophy) は、一般に規範や道徳的な根拠について考察する学問である。

法哲学・政治哲学も規範や価値をその研究の対象として持つが、こちらは国家的な行為についての規範(法や正義)を論ずることとなる。 ただしこれら二つの学問分野が全く違う分野として扱われるようになったのは比較的最近である。

倫理学はその対象に応じてメタ倫理学(meta-ethics)と規範倫理学(normative ethics)とに大別できる。

どの思想家がメタ倫理学者か規範倫理学者かというようなことはなく、倫理学者の著作には多かれ少なかれメタ倫理的な部分と規範倫理的な部分が存在する。

規範倫理学は、広義の義務論、徳論、自由意志、広義の価値論について考察する倫理学の一分野である。どのような道徳や判断が善いのか(あるいは正しいのか)を探求する。快楽主義、幸福主義、非快楽主義、利己主義、利他主義、功利主義などの代表的な規範倫理学の立場がある。
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功利主義…ジェレミ・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミル、R. M. ヘアなど
義務論…イマヌエル・カントなど
徳倫理学…プラトン、アリストテレス、G. E. M. アンスコム、アラスデア・マッキンタイアなど

メタ倫理学は道徳判断に含まれる概念の分析や倫理的主張の理論的正当化を課題とする倫理学の一分野である。 20世紀に言語哲学や分析哲学の影響を受けて大いに流行した。 代表的論者として、ジョージ・エドワード・ムーアなどがいる。

日本倫理思想は日本に古くからある倫理的な思想・哲学を研究する倫理学の分野である。 仏教思想、儒教(朱子学・陽明学・古学)思想、神道思想、国学から物語や民話に至るまで、和辻哲郎による和辻倫理学がその源流である。新しい分野だけにこの学問のカバーする範囲はやたらに広い。

また、脳死問題など新しい倫理問題において日本人固有の倫理的判断や価値観が問題となる場面では応用倫理学とオーバーラップする部分もある。

2009年04月26日

太上天皇

太上天皇(だいじょうてんのう、だじょうてんのう)とは、皇位を後継者に譲った天皇に送られる尊号。または、その尊号を受けた、その人。上皇(じょうこう)と略することが多い。由来は、中国の皇帝が位を退くと「太上皇」と尊称されたことにあるとされる。また、出家した上皇を、太上法皇(法皇・ほうおう)と称する。ただし、両者に法的な身分差は無く、律令法においては太上法皇も太上天皇に含まれることになる。

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太上天皇は「院」と称されることも多い。「三宮」(后位)と総称して「院宮」といい、更に、有力貴族・寺社を含めた総称を院宮王臣家といった。院の御所が仙洞御所(せんとうごしょ)と呼ばれたことから、「仙洞」も上皇の謂として用いられる。

持統天皇が文武天皇に譲位をしたのが最初であり(皇極天皇が弟・孝徳天皇に譲位した例はあるが、このときには「太上天皇」号は存在しておらず、また、その後斉明天皇として重祚している)、江戸時代後期光格天皇が仁孝天皇に譲位するまで、計62人の上皇が存在した。

ただし、その中には、天皇在位のままで死去するのは不吉であるとして、崩御直前に譲位の手続きが行われて太上天皇の尊号が贈られ、そのまま崩御した例も見られる。醍醐上皇の8日間、一条上皇の10日間、後朱雀上皇の3日間などはその典型と言える。

殆どの天皇には、譲位後すみやかに太上天皇号が奉られるが、退位によって自動的に奉られるものではないので、淡路廃帝(淳仁天皇)のようにクーデター的に廃位されたり、安徳天皇や九条廃帝(仲恭天皇)のように退位・即位の事実が曖昧にされたりして、尊号が奉られなかった例もある。足利義満の死に際し、朝廷が太上天皇の尊号を贈ろうとしたという事例もあったが、最終的には子の足利義持が辞退した。1817年に光格天皇が仁孝天皇に譲位して太上天皇になったのを最後に、太上天皇は存在していない。明治以降の皇室典範では譲位を認めていないため、現在に至るまで太上天皇の制度は存在しない。

院政 / 治天の君
大宝律令において、天皇と並んで規定があり、天皇と同じように院宣を以て、その意向を政治的に汲み入れることが可能であった。院庁を開設し、院蔵人などの機関を設けることもできた。

平安時代の末になると、天皇との母子関係を基礎とした外戚による摂関政治から、父子関係に基礎を置いた上皇による院政が行われるようになった。史上有名な上皇の多くは、この時期に属する。これら政権を握った上皇は、また治天の君(ちてんのきみ)と称された内に含まれる(「政権を握った上皇=治天の君」ではない

2009年04月09日

刑罰は過去の犯罪行為

刑罰は過去の犯罪行為に対する応報として犯人に苦痛を与えるために行うものとする応報刑論が唱えられていた。そのうちカントが唱えた絶対的応報刑論では刑罰は悪に対する悪反動であるため、犯した犯罪に相当する刑罰によって犯罪を相殺しなければならないとしていた。しかし近代になって残虐な刑罰が批判されてきたため、刑罰が応報であることを認めつつも、刑罰は同時に犯罪防止にとって必要かつ有効でなくてはならないとする考え方である相対的応報刑論が唱えられるようになった。

近代では刑罰は犯罪を抑止する目的で設置される性格を持つという目的刑論が主張されるようになり、一般市民への犯罪抑止力等としての一般予防論と犯罪者の教育・更生・隔離の目的で犯罪者自身に刑罰を施す事で、犯罪者が再犯することを予防することができるとする特別予防論に分けられる。この刑論において死刑は犯罪者の命を奪う刑罰であるため更生を目的とした教育効果について考えることは意味はないため、死刑を適用された犯罪者は凶悪で矯正不能な者であり、永久に社会から「隔離」するための無力化効果のみを指すことになる。そのため、結果的には死刑囚が犯行を反省し、悔い改めても意味はないことになり、教育的効果は期待できないという反論もある。そのため、近代刑罰の主流となった教育刑とは異なり、死刑囚だけが原始時代から続く応報刑である処刑を受けることに対し批判がある。

日本で、死刑を合憲とした最高裁判例は、現代の刑法では忌諱される応報論ではなく、犯罪者に対する威嚇効果と無力化効果(隔離効果)による予防説に基づいて合憲している。なお、予防説では死刑は一種の必要悪であるとして、犯罪に対する反省も無く改善不能で矯正も不可能な犯罪者は、社会防衛のために死刑にするものいたしかたないとの死刑存置派からの論拠があるという[5]。実際に日本の検察側の死刑を求める求刑や裁判所の死刑判決に、死刑囚を『矯正不能な犯罪者』という表現が用いられる場合が少なくない。

なお、現実に死刑を宣告もしくは確定した死刑囚であるが、その効果は死刑囚ごとに違いがあるといえる。贖罪の手段として受け入れるもの、初めて事の重大性を認識し絶望するものもおり、この時点で死刑になることで、ようやく犯罪行為に対する罪の清算を社会が求めていると認識させることができる。だが、なかには現実を認めず無罪を主張するものや、別の感情を抱いている場合もある。実際に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の宮?勤元死刑囚も恐怖を手紙で訴えている。

たとえば光市母子殺害事件の被告人は2008年4月3日に報道機関の取材に応じ[6]、その中で「僕は死刑存置主義者ですから。終身刑も検討して欲しいと思っていますけどね。ただ判例として僕が死刑になるのは避けたい。ほかの少年少女の事件にも大きく影響するんですから」と発言した。この発言の真意は不明であるが、死刑制度が存在することを認める一方で、自身にそれが適用されることについては可能ならば避けてもらいたいとの意識が働いているといえる。また前述のように自ら望んだ結果として死刑になったような制度を悪用し自らの願望を叶えた死刑囚も存在する。

死刑制度に関する議論 [編集]

死刑および死刑制度については、人権や冤罪の可能性、倫理的問題、またその有効性、妥当性、国家としての人類の尊厳など多くの観点から、全世界的な議論がなされている(詳細は死刑存廃問題を参照のこと)。議論には死刑廃止論と死刑賛成論の両論が存在する。死刑制度を維持している国では在置論と呼ぶ、廃止している国では復活論と呼ぶ。もちろん死刑の廃止と復活は、世界中で史上何度も行われてきている。

近年では死刑は、前述のように凶悪事件に対して威嚇力行使による犯罪抑止、または犯罪被害者遺族の権利として存置は必要であると主張される場合がある。ただし前者は統計学および犯罪心理学的に死刑の有用性が証明されたものではなく、存在意義はむしろ社会規範維持のために必要とする法哲学的色彩が強い。後者は親愛なる家族が殺人被害にあったとしても、実際に死刑になる実行犯は情状酌量すべき事情のない動機かつ残虐な殺害方法で人を殺めた極少数(日本では毎年1000人近い殺人犯が検挙されるが、死刑判決が確定するのは、そのうち数十人である)であることから、菊田幸一など死刑廃止論者から極限られた被害者遺族の権利を認めることに疑問があるとしている。また、いくら凶悪なる殺人行為であっても、その報復が生命を奪うことが果たして倫理的に許されるかという疑問も指摘されている。

また、死刑執行を停止しているロシア当局によるチェチェン独立は指導者の「殺害」などがあり、死刑制度の有無や執行の有無が、その国家の人権意識の高さと直接の関係はないとの主張も存在するが、死刑制度は民主国家では廃止され非民主国家で維持される傾向にある。地理的には、ヨーロッパ、そして南米の6カ国を除いた国々が、廃止している。ヨーロッパ諸国においてはベラルーシ以外死刑を行っている国は無い(ロシアにおいては制度は存在するが執行は十年以上停止状態であるといわれる。チェチェンを参考のこと)。これは死刑制度がヨーロッパ連合が定めた欧州人権条約第3条に違反するとしているためである。またリヒテンシュタインでは1987年に死刑が廃止されたが、最後の処刑が行われたのが1785年の事であり事実上2世紀も前に廃止されていた。またベルギーも1996年に死刑が廃止されたが最後に執行されたのは1950年であった。このように、死刑執行が事実上行われなくなって、長年経過した後に死刑制度も正式に廃止される場合が多い。

欧州議会の欧州審議会議員会議は2001年6月25日に日本およびアメリカ合衆国に対して死刑囚の待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決した。この決議によれば日本は死刑の密行主義と過酷な拘禁状態が指摘され、アメリカは死刑適用に対する人種的経済的差別と、少年犯罪者および精神障害者に対する死刑執行が行われているとして、両国の行刑制度を非難するものであった。

通常犯罪における死刑が廃止されても、国家反逆罪ないし戦争犯罪によって死刑が行われる場合がある。例えばノルウェーのヴィドクン・クヴィスリングは1945年5月9日、連合国軍に逮捕され国民連合の指導者と共に大逆罪で裁判にかけられ、銃殺刑に処せられた。ノルウェーでは、この裁判のためだけに特別に銃殺刑を復活(通常犯罪の死刑は1905年に廃止されてはいたが)した。また同様にイスラエルもナチスによるホロコーストに関与したアドルフ・アイヒマンを処刑するため、死刑制度がないにもかかわらず(戦争犯罪として適用除外されたともいえるが)死刑を宣告し執行した。

中東とアフリカとアジアにおいては総じて死刑制度が維持されている。冷戦時代は総じて民主国家が廃止、独裁国家が維持していたが、現在では冷戦崩壊後の民主化と大量虐殺の反省により東欧と南米が廃止、アジアおよび中東とアフリカの一部が民主化後も維持している状態である。またイスラム教徒が多数を占める国では、イスラーム法を名目とした死刑制度が維持されているが、トルコのようにヨーロッパ連合への加盟を目指すために廃止した国や、ブルネイのように1957年以降死刑執行が行われていないため事実上廃止の状態の国もある。

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2009年03月25日

人形草紙あやつり左近

『人形草紙あやつり左近』(からくりぞうし あやつりさこん)は、『週刊少年ジャンプ』で、1995年23号から1996年1号まで、連載された写楽麿原作、小畑健作画による推理少年漫画、及び、それを原作としたアニメ作品。コミックス全4巻、文庫版全3巻。

人形遣い・橘左近は、人間国宝の文楽人形師・橘左衛門の孫。彼は様々な事件に幾度も遭遇する事となる。
ドリーム ミリバ すぐき菜 ちそう パンプ ハーフ カバー しゃるどね リニュ バイオ カリソウ ノータック キシャー スモー スンドゥ ずっき じゅんか チンチラ ブタジ カーネ ロゴ チェック アクシオン ロメン 銀色の雨 マスタ ミーゴー パエリ きんあか ディン ワスプ ハロー ジスト パレード たーつぁい オテコ オープン たまりん ジャグ メラノ カーコン ツガWEB アプリ オービタル ハーフ ナビ夕立 エスアイ つくし プレイシ ハイブ

「人形遣いは人間遣い 腹話術は読心術 真似るのは声色だけでなくその内なる声」

祖父から教わったその言葉を胸に、左近は、相棒の童人形・右近と共に事件を解き明かしてゆく……。

声優が2名表記されている場合は、前者がアニメ放映前のドラマCD、後者がアニメ及びアニメ放映後のドラマCD。

主要人物 [編集]
橘 左近(たちばな さこん)
声:檜山修之/緒方恵美
本作の主人公。人間国宝・橘左衛門の孫で、若手の文楽人形遣い。原作での年齢設定は不明だが、アニメ版では両親の結婚した時期から推定して、少なくとも18歳以下と思われる。普段は口数が少なく大人しいが、右近を操ることで天才的な洞察能力を発揮し、殺人事件を解決していく。人形の右近とは、幼少の頃からの付き合いで、いじめられても彼を手放さなかった。『不二家パーラー』のオムライスが好物(小説『夢話悲恋幻想奇譚』より)。
右近(うこん)
声:山口勝平/くまいもとこ
明治初期に、人形師・三代目小泉卯之助によって作られた傑作童人形。まるで魂がこもった様に動き、口下手な左近の言葉を代弁する。左近と全く正反対の性格で、豪放でおしゃべり(つまり、左近の本性が右近であると考えてもよい)。
橘 薫子(たちばな かおるこ)
声:天野由梨/山田美穂
左近の叔母だが、年齢が近いために「薫子姉さん」と呼ばせている。警視庁捜査一課の刑事(警部補)だが、おっちょこちょいな性格で「迷推理」ぶりを発揮している。右近とは事あるごとに言い争う、言わば「喧嘩友達」のような関係。
アニメでは左衛門の娘で、左近の母・千鶴とは姉妹関係という設定となっている。
橘 千鶴(たちばな ちづる)
声:佐藤しのぶ
左近の母。おっとりとした性格だが、かなりの心配性。
ちなみに、上記の名前はアニメで発表された。原作では薫子の義姉にあたるが、アニメでは実姉という設定に変更されている。
橘 左衛門(たちばな さえもん)
声:依田英助
左近の祖父にして、人間国宝の文楽人形師。左近の師匠でもある。厳しさと優しさを併せ持った人物。
藤田 善吉(ふじた ぜんきち)
声:置鮎龍太郎
アニメ版の物語後半における主要人物。原作では死亡してしまったが、アニメでは左近の右腕として情報収集のため奔走する。「関西弁を操るカメラマンの卵」という設定は原作と同じ。また、左近とは初登場時点で既に知り合いである。
『信州百狐血雨地獄』『奥飛騨幽霊奇譚』『恋花時雨咲乱舞』に登場。
樽海 剛(たるうみ つよし)
声:竹村拓
アニメオリジナルの登場人物で、物語後半における主要人物の一人。警視庁捜査一課の刑事で、薫子の部下にあたるが、薫子とのコンビは今一つ噛み合わないでいた。いつもガムを噛んでいる事が多い。
『埃及大王呪術地獄』以降登場。

2009年03月10日

レディ・メイドと『泉』

早い時期に油絵を放棄したデュシャンは、既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのものをオブジェとして提示した「レディ・メイド」を数多く発表した(1913年制作の「自転車の車輪」が、最初のレディ・メイドといわれている)。なかでも、普通の男子用小便器に「リチャード・マット (R. Mutt)」という署名をし『泉』というタイトルを付けた作品(1917年制作。第二次世界大戦後に何回か再制作され、1964年にarturo schwartzによって8つのレプリカがデュシャンの許可の下製作された)は、物議をかもした(「mutt」とは「ばか」「のろま」といった意の俗語であり、衛生陶器を製造していたMatt & Worksという社名をもじったもの、かつ当時の新聞掲載漫画の主人公の名前である)。

デュシャンは、自分が展示委員をしていたニューヨーク・アンデパンダン展(定められた出品料5ドルさえ支払えば、誰でも出品できる無審査の展覧会)にこの作品を匿名で出品したが、委員会の議論の末、展示されることはなかった。デュシャンは後年のインタビューで「展示が拒否されたのではなく、作品は展覧会の間じゅう仕切り壁の背後に置かれていて、自分も作品がどこにあるか知らなかった」と語る。デュシャンは自分が出品者であることを伏せたまま、展示委員の立場から抗議の評論文を新聞に発表し、委員を辞任した。最終的にはこの作品は紛失した(展示に反対した委員が意図的に破棄したのではとされている)。こうしたエピソードはいかにデュシャンが、美術の枠を外そうとし、また拒否反応があったかという点を示している。デュシャンはこの後、ほとんど作品を製作発表しなくなる。

件の便器を含むレディ・メイド作品、いずれもオリジナルは紛失した。従って現在目にすることのできるのは写真か複製に限られている(便器はアルフレッド・スティーグリッツによって撮られた一枚の写真を残して紛失)。しかし、30年後にデュシャンに傾倒する若者が、別の市販の便器の展示許可を本人から得て話題となった。デュシャンが芸術は受け継がれていくものだと考え承諾し、「R. Mutt」のサインを入れた。現在、芸術としての公式の便器が数百点に上る。

『泉』は2004年12月、世界の芸術をリードする500人に最もインパクトのある現代芸術の作品を5点選んでもらうという調査の結果、ピカソの名作『アヴィニョンの娘たち』を抑えて堂々の1位を獲得した(ターナー賞のスポンサーとジンの製造会社が実施)。『泉』の発表後、20世紀の多くの芸術家は『デュシャン以降、何が制作できるのか』という命題に直面しており、それに応えた作品が多く生まれている。
オフチ ふくち ブラン ぶんかく プラント スマ フロック トトッ メタロ ダイオプ ブリキア パタゴニア ライン パラメータ ジューク ハンガー ビエン きつね ピラミッド ビールス バーテン トパバス パーマワ チュリア しろくま そうこ ハラーム ヒューズ デスバ ループ ティーツ ライブ イペリッ ナビオギ シーディ イザベ アカシア こじゅう オールロ ゼット パートナ リソース レサーチ シュツルー ケオキキ レモン ピッチ ラック まくわ トータル

なお、『泉』という邦題については、誤訳ではないかという説もある。『噴水』と訳すべきであったというのであるが、それは、レディ・メイドという性格上、泉という天然自然のモノではなくして人工人造のモノとして扱うべきであるというのが理由である。また、デュシャンのエロティシズムに対する態度から決して性的なモノを拒否していたとは思われないというのがもうひとつ。そして、もしこの作品を邦題『噴水』として受容鑑賞するならば、その噴水のノズルは何か? それはこのオブジェの前に在ってしかるべき男性性器であり、すなわち作品名からしてダブルミーニングであるのではないかというのが誤訳説である。

2006年にパリのポンピドゥー・センターの企画展ギャラリーで行われた「ダダ展」で、従来よりポンピドゥー・センター内の国立近現代美術館で普段はガラスケース内に展示されていた『泉』が、この企画展に移されケース無しで展示されていた。企画展終了の数日前、一人の男がこの『泉』をハンマーで叩き、国立近現代美術館所有の『泉』は破損した。警察発表によればこの男は「自分のやった事は芸術的パフォーマンスであり、デュシャンも理解したはずだ」と述べたという。

油絵制作放棄後の主要な作品
『自転車の車輪』(1913年)
丸いスツールに自転車の車輪を取りつけた『自転車の車輪』は、デュシャンが何となく作って自分のアトリエに置いていたもので、もともと「作品」にするつもりはなかったという。
『ビン掛け』(1914年)
既製品のトタン板製のビン乾燥器である。パリのデパートでこれを購入した1914年が制作年とされている。『自転車の車輪』と『ビン掛け』の「オリジナル」は、デュシャンの妹のシュザンヌが、デュシャンの去った後のアパートを掃除した際に処分してしまい、現存する作品は1964年にミラノのガレリア・シュバルツによって再制作されたものである。
『折れた腕の前に』(1915年)
雪かき用のシャベルを天井から吊り下げたもので、最初の意識的な「レディ・メイド」と言われている。デュシャンはこの年ニューヨークへ移住。
『大ガラス』(正式の題名は『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(1915?1923年)
『秘められたる音に』(1916年)
レディ・メイドという言葉はこの年から使い始められた。
『泉』(1917年)
『エナメルを塗られたアポリネール』(1917年)
『Tu m'』(1918年)
コレクターのキャサリン・ドライヤーの求めで例外的に描いた油絵。題名はフランス語で「君は私を?させる」という意味であり、「?」に入るべき動詞が欠落している。
『L.H.O.O.Q.』(1919年)
『モナ・リザ』に、ひげを書き加えた作品。作品名の「L.H.O.O.Q.」はフランス語で続けて読むと、「彼女の尻は熱い (Elle a chaud au cul、彼女は性的に興奮している)」と同じ発音(エラショオキュー)になる。
『パリの空気50cc』(1919年)
『フレッシュ・ウィドウ』(1920年)
『回転ガラス板』(1920年)
『グリーンボックス』(1934年)
『ロトレリーフ』(1935年)
『トランクの中の箱』(1941年)
『遺作』(正式の題名は『(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ』(1946?1966年)
手作業や制作そのものを断念していたはずのデュシャンが、後半生にひそかに制作していた作品。遺言どおりフィラデルフィア美術館に恒久展示されている。板塀の覗き穴から中を見ると、滝のある風景の中にランプを持った裸の女性が横臥するのがわずかに見える。
『プロフィールの自画像』(1958年)
『髭を剃られたL.H.O.O.Q.』(1965年)
一般に売られているモナリザの複製画にサインをしたもの。

2009年02月22日

庚申信仰

庚申とは、「干支(かんし、えと)」すなわち「十干(じゅっかん)」・「十二支(じゅうにし)」の組み合わせの一つである。十干とは、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)である。また十二支とは、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)であり、干支は都合60通りの組み合わせで表される。 陰陽五行説では、十干の庚は陽の金、十二支の申は陽の金で、比和(:同気が重なる)とされている。干支であるので、年(西暦年を60で割り切れる年)をはじめ、月(西暦年の下1桁が3・8(十干が癸・戊)の年の7月)、さらに日(60日ごと)がそれぞれに相当する。庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされた。庚申に続く辛酉も金性が重なり、かつ辛は陰の気なので冷酷さがより増すとされた。

現在までに伝わる庚申信仰とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教とくに密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑にからみあった複合信仰である。 具体的には、庚申の日に禁忌(きんき)行事を中心とする信仰があり、日本には古く上代に体系的ではないが移入されたとされている。『入唐求法巡礼行』838年(承和5)11月26日の条に〈夜、人みな睡らず。本国正月庚中の夜と同じ〉とあり、おそらく8世紀末には「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれる行事が始まっていたと思われる。すなわち守庚申とは、庚申の夜には謹慎して眠らずに過ごすという行いである。

平安時代の貴族社会においては、この夜を過ごす際に、碁・詩歌・管弦の遊びを催す「庚申御遊(こうしんぎょゆう)」と称する宴をはるのが貴族の習いであった。9世紀末から10世紀の頃には、庚申の御遊は恒例化していたらしい。やがて時には酒なども振る舞われるようになり、庚申本来の趣旨からは外れた遊興的な要素が強くなったようである。 鎌倉・室町時代になると、この風習は上層武士階級へと拡がりを見せるようになった。『吾妻鏡』(鎌倉幕府の記録書)にも守庚申の記事が散見される。また資料としてはやや不適切かとも思われるが、『柏崎物語』によると織田信長をはじめ柴田勝家ら重臣20余人が揃って庚申の酒席を行ったとある。さらに度々途中で厠に立った明智光秀を鎗を持って追いかけ、「いかにきんかん頭、なぜ中座したか」と責めたともある。 やがて守庚申は、庚申待(こうしんまち)と名を変え、一般の夜待と同じように会食談義を行って徹宵する風習として伝わった。庚申待とは、“庚申祭”あるいは“庚申を守る”の訛ったものとか、当時流行していた“日待・月待”といった行事と同じく、夜明かしで神仏を祀ることから「待」といったのではないかと推測される。(いにしえのカミ祀りは夜に行うものであった。) 庚申待が一般に広まったのがいつ頃かは不明だが、15世紀の後半になると、守庚申の際の勤行や功徳を説いた『庚申縁起』が僧侶の手でつくられ、庚申信仰は仏教と結びついた。仏教と結びついた信仰では、諸仏が本尊視され始めることになり、行いを共にする「庚申講」が組織され、講の成果として「庚申塔」の前身にあたる「庚申板碑」が造立されだした。また「日吉(ひえ)山王信仰」とも習合することにより、室町時代の後期から建立が始まる「庚申(供養)塔」や「碑」には、「申待(さるまち)」と記したり、山王の神使である猿を描くものが著しくなる。 このように本来の庚申信仰は、神仏習合の流れの中で、猿を共通項にした新たな信仰へと変化していることが伺われる。つまり神なり仏なりを供養することで禍から逃れ、現世利益を得ようとするものである。やがては宮中でも、庚申の本尊を祀るという形へと変化がみられるようになった。 仏教式の庚申信仰が一般に流布した江戸時代は、庚申信仰史上最も多彩かつ盛んな時期となった。大正時代以降は急速にその信仰が失われた。 ちなみに仏教では庚申の本尊を、青面金剛および帝釈天に、神道では猿田彦神としている場合が多い。これは庚申の「申」が猿田彦の猿と結び付けられたものと考えられる。また猿が庚申の使いとされ、庚申塔には「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られることが多かった。
ただみま まおい プロト 光の子 クロスス マンドゥク パロア 変革生活 ポケット コバンソ レスク 白い花 めんこ シュズ モンス ゼルス リュウ カイヤ ハマヒ フォーク ダイア モダリティ いきこう ジアル セーブル フロー ぴかいち さんめし しぎやき オーバ ナビ本陣 海のミネ ナビ朱鳥 NO1里芋 たきかわ にしめ ゾンデ ミストレス マート キシロース オルゴール ディーラム フライ カスタード ツリー 十三夜 フアラ くまざさ ノット クォーツ

いずれにせよ、この夜慎ましくして眠らずに過ごすという概念は、比較的受け継がれている。また男女同床せぬとか、結婚を禁ずるとか、この日結ばれてできた子供に盗人の性格があると恐れられたりする因習もある。また地域によっては、同志相寄って催す講も続けられている。それらは互助機関として機能したり、さらには村の常会として利用されたりすることもある。

2009年02月05日

THE KING OF FIGHTERS '99

ストーリーとしては新たな主人公K'を主軸としたネスツ編(〜2001)の幕開けとなった作品。新たなシステムとして、援護攻撃の発展形ともいえるストライカーシステムが導入され、4人チーム制となる。また、スーパーキャンセルが可能になる「カウンターモード」とスーパーアーマー状態になる「アーマーモード」といったパワーMAX発動の発展形ともいえるシステムが導入された(3ゲージ使うことで発動できる。『2000』まで採用された)。また、緊急回避動作が「かわし移動」となったが、この作品のみの採用となっている。動作としては、前方へのかわし移動は前に移動しながら『'95』以前の攻撃避けを行う感じになっており、この際は「かわし移動攻撃」を出す事ができる。後方へのかわし移動はバックステップをした後、即座にステップインするというものになっており、バックステップ着地時は必殺技か超必殺技でキャンセルができる。なお、この作品ではスコアではなく「バトルアビリティ」と呼ばれるバトルポイント制となっている(『2000』まで採用)。グラフィックは技術の向上により、雰囲気は『'97』までとは一線を画している。
MVS版(アーケード版)では草薙京と八神庵は隠しキャラクターである。ストーリーモードではバトルポイント280以上で京、それ以下(200以上280未満)なら庵が乱入してくる(デフォルトチームのみ)。一定条件を満たせば使用可能になる。家庭用では最初から使用可能。
ドリームキャスト版『〜 EVOLUTION』ではネオジオポケット(カラー専用)ソフト『THE KING OF FIGHTERS バトルDEパラダイス』との連動によりパワーアップするエキストラストライカーが追加された。
余談だが、かつてKOFに関わっていたスタッフが参加した格闘ゲーム『堕落天使』が発売された後であったためか、その影響かと思われるものがところどころに散見される。
出場キャラクター
キッド マロン マーブル モーダル メープル ピュア スポア 九月の砂 カトブレ ほわい ワイヤー シャム モード イグサ チカツ レーザー ルイス WEB大葉 ブリッジ ルーマニア ネチケット アイド タランチ キャラメル オフェンス ハラタ ヒット メーザー イヤリング ルバッ なかにい 片道切符 いろんな いばば ねっび ローブ アスク リカレ フライト グアバ ナチガイド トライア ブイヨン シャンビ ゼムクリ スケルツォ ナビハズ ビビッド むぎこうじ マッシュル

チーム名 メンバー
主人公チーム K' マキシマ 二階堂紅丸 矢吹真吾
餓狼伝説チーム テリー・ボガード アンディ・ボガード ジョー・ヒガシ 不知火舞
龍虎の拳チーム リョウ・サカザキ ロバート・ガルシア ユリ・サカザキ タクマ・サカザキ
怒チーム レオナ ラルフ クラーク ウィップ
サイコソルジャーチーム 麻宮アテナ 椎拳崇 鎮元斎 包
韓国チーム キム・カッファン チャン・コーハン チョイ・ボンゲ ジョン・フーン
女性格闘家チーム キング ブルー・マリー 藤堂香澄 李香緋
エディット専用 草薙京-1 草薙京-2
ボスキャラクター
(家庭用でのみ隠しとして使用可) クリザリッド
乱入キャラクター
(隠しとして使用可) 草薙京 八神庵
エクストラストライカー
(『'99EVOLUTION』のみ) セス、ヴァネッサ、草薙京SP、麻宮アテナSP
大門五郎、神楽ちづる、ビリー・カーン、山崎竜二
アルフレッド、フィオ、天童凱、霧島翔

THE KING OF FIGHTERS 2000
SNKとして開発された最後の作品(ちなみに、販売元がSNKである最終作品は『戦国伝承2001』)。ネスツ編第2章。K'と対になる存在のクーラ・ダイアモンドが初登場する。
システムは『'99』を継承しているが、本作では「アクティブストライカーシステム」の採用により、ストライカーがストックがある限り、食らい中でなければほぼどこでもいつでも呼び出せるようになっており、連続技の自由度が非常に上がったが、即死コンボ以外にも一部のキャラクターとストライカーの組み合わせで「ハメ技」が存在するなど、対戦におけるゲームバランスには問題といえる部分も多い。
製作当時はSNKの経営危機に伴い次回作を製作できるか不明瞭な状態であったためか、新キャラが全てKOFオリジナルキャラクターであった代わりに、それまでのSNKのゲームに登場させたキャラの多くを、各キャラに用意されたもう一人のストライカーであるアナザーストライカー(一部キャラは三人目であるマニアックストライカーもいる。また、PS2版では隠しストライカーとして、さらにマニアックストライカー追加されている)として登場させたことや、最終作であることの隠喩のような台詞が多いなどの特徴がある。
高品質なデモグラフィックや、音楽と同期したエンディングなどの洗練された演出は一つの到達点を感じさせる。また、ここまでキャラクターイラストを担当していた森気楼が翌年カプコンに移籍したため、彼の手により描かれたキャラクター達を見ることができる最終作でもある。
出場キャラクター
チーム名 メンバー
アナザーストライカー
(下段はマニアックストライカー、カッコ内のキャラはPS2版で追加)
主人公チーム K' マキシマ ヴァネッサ ラモン
アナザーK'
(クリザリッド) ロッキー フィオ デューク・エドワーズ
ネオ&ジオ
紅丸チーム 二階堂紅丸 矢吹真吾 セス 麟
アナザー紅丸
(暴走庵) コスプレイヤー京子 大門五郎 如月影二
餓狼伝説チーム テリー・ボガード アンディ・ボガード ジョー・ヒガシ ブルー・マリー
ギース・ハワード
(ブライアン・バトラー) ビリー・カーン
(ラッキー・グローバー) ダック・キング
(ヘビィ・D!) 山崎竜二
龍虎の拳チーム リョウ・サカザキ ロバート・ガルシア キング タクマ・サカザキ

ゲーマント アナザーロバート 獅子王 天童凱
(Mr.ビッグ)
怒チーム レオナ ラルフ クラーク ウィップ
ゲーニッツ
(オロチ) 七枷社
(暴走レオナ) シェルミー クリス
(ハイデルン)
サイコソルジャーチーム 麻宮アテナ 椎拳崇 鎮元斎 包
アテナ ケンスウ 白湯 渡部薫
韓国チーム キム・カッファン チャン・コーハン チョイ・ボンゲ ジョン・フーン
キム・スイル キム・ドンファン
スマートチャン キム・ジェイフン
クールチョイ カン・ベダル
女性格闘家チーム 不知火舞 ユリ・サカザキ 藤堂香澄 四条雛子
神楽ちづる
(ヴォルフガング・クラウザー) ナコルル 李香緋
アンノウン リリィ・カーン
エディット専用 草薙京 八神庵
霧島翔
草薙柴舟 マチュア&バイス
アナザー庵
乱入キャラクター
(隠しとして使用可) クーラ・ダイアモンド
キャンディー・ダイアモンド(※ノーマルストライカー)
フォクシー
ルガール・バーンシュタイン
ボスキャラクター
(家庭用でのみ隠しとして使用可) ゼロ

THE KING OF FIGHTERS 2001
ネスツ編最終章。システム面では、4人のうち0 - 3人をストライカーに出来るタクティカルオーダーが導入される(ライフはストライカー以外で分配)。そのため、現段階でROUND6、ROUND7がアナウンスされる唯一のKOF作品となる。なお、COMはラストの2ステージのボス戦を除いて、ストライカーが1人に固定されている。相手が画面端まで吹き飛んで跳ね返るワイヤーダメージが導入されたのはこの作品からである。スタッフの移籍によりキャラクターデザインの担当がノナとなったが、森気楼とのタッチの差が激しく、さらにキャラクター性を把握していなかったため、ファンの間で波紋を呼んだ。
ゲームバランスの調整が不十分だったのか、今回初登場となるフォクシーの性能があまりに高すぎ、『2001』の大会などでは「フォクシー禁止」ルールが採用されるという事態がしばしば発生した。また、永久コンボが容易に出来るキャラクターが複数存在し(他作品でもなかった訳ではないが、条件が非常に厳しかったり、操作がとてつもなく困難だったりするものばかりである)、これまた大会では特定の連続技の使用が禁止されたりもしていた。さらに、フォクシーと同じく今作初登場キャラクターである、メイ・リーに、俗に「ピョン吉モード」と呼ばれる、画面が停止してしまうバグ技も存在しており(このバグは次回作『2002』にも存在している)、「メイのバグ技使用禁止」などと、張り紙などで注意を呼びかけている店も少なくなかった。
SNKの倒産に伴い、開発はブレッツァソフトと韓国のゲームメーカーイオリスが、販売はサン・アミューズメントがそれぞれ担当した。オープニングにはSNKのロゴが表示されるが、韓国資本の流入により、出場キャラクターなどにその影響が濃く見られる。開発スポンサーのイオリスが海外の企業であるためか、全体的に日本語の表現の未熟さが目立ち(SNKプレイモア関連の書籍などによると、イオリスからも数名の開発スタッフが派遣されていたとのこと)、急激なストーリー展開の中でネスツ編で山積していた伏線、謎が明らかにされないなどのさまざまな問題が発生。語られなかった裏設定が嬉野秋彦の小説版で明かされる(というより嬉野が補完した)という事態となった。
出場キャラクター
チーム名 メンバー
主人公チーム K' マキシマ ウィップ 麟
日本チーム 草薙京 二階堂紅丸 大門五郎 矢吹真吾
庵チーム 八神庵 セス ヴァネッサ ラモン
ネスツチーム クーラ・ダイアモンド フォクシー K9999 アンヘル
餓狼伝説チーム テリー・ボガード アンディ・ボガード ジョー・ヒガシ ブルー・マリー
龍虎の拳チーム リョウ・サカザキ ロバート・ガルシア ユリ・サカザキ タクマ・サカザキ
怒チーム レオナ ラルフ クラーク ハイデルン
サイコソルジャーチーム 麻宮アテナ 椎拳崇 鎮元斎 包
女性格闘家チーム 不知火舞 キング 李香緋 四条雛子
韓国チーム キム・カッファン チャン・コーハン チョイ・ボンゲ メイ・リー
ボスキャラクター
(家庭用でのみ隠しとして使用可。
専属ストライカーは使用不可で
ゼロの特殊技での召還キャラクターとなっている) 中:ゼロ(オリジナル)
ゼロ専属ストライカー:グルガン、龍、クリザリッド
最終ボス:イグニス

2009年01月21日

ジャーナリスト (Journalist)

ジャーナリスト (Journalist) とは、新聞、雑誌など、あらゆるメディア(medium, media - 媒体)に記事や素材 (article) を提供する人。または職業。ジャーナリストという呼称自体が人物に対する社会的評価であるという見方もある。明治時代には「操觚者」と訳された

19世紀はじめごろはチャールズ・ディケンズのような、ジャーナル(journal)に記事を書く人を指した。

これが転じて新聞やジャーナルの記事を書く人を指すようになった。
ダイビ ワサビン ナンピン ライトウイ ブーケ ラケット スーパ スキッダ プラネット 組曲 ナイロン リテラ オーベル シェアリ 白鳳支援 ムート ふるさと ジャパニ キチネッウ ヌビア てかばん クロア パート ラザーニャ ファイター ナポレオン ファタ ウコン パワー ブース ロビューム クーペ ラゴス ユグノー チラム トラサ あわせばお アカ パンフレット スパン バドミン ミレー フルー ミリーカー スカイプ ファン トリプ ハジ カソード シノニム

呼称対象
基本的には印刷メディアのために書く人。日本においてはジャーナリストを名乗る際の特別な基準は存在せず、何らかのメディアに寄稿さえしていればジャーナリストを名乗っても間違いとは言えない。また、ジャーナリストとなるために必要な公的資格も一切存在しない。

事実に対する現状や意義、展望を報道する専門家であるとされるが、本人の倫理観や見方に基づくため、まず個々のジャーナリスト自身を理解した上で記事などを理解することが重要である。ジャーナリスト自身の経済的基盤、個人的利害関係が記事の内容に大きく影響を与えるケースもある。

欧米諸国では、新聞社やテレビ局で経験をつんだ後ジャーナリストに転身するケースがほとんどである。また、政府機関が記者クラブに参加するための記者証を発行していたり、記者クラブに参加するための基準が存在しており、欧米における個人ジャーナリストの多くはそれらの基準を満たしている。

社会的評価を受けているジャーナリストの書いた記事や報道(ジャーナリズム)は影響が大きい。フリージャーナリストの草分けである故黒田清のように「ジャーナリズムの基本は伝えることではなく弱者の訴えを代弁する事」を信念とするものもいるように、日本独自に発展したジャーナリズム観も生まれている。

分業制
ジャーナリストの中でも、特に記事執筆のために必要なデータ収集を専門とする人間を「データマン」、そしてデータマンの集めてきたデータを元に記事を執筆する人間を「アンカーマン」と呼ぶ。

いわばデータマンはアンカーマンのアシスタント的な役割を果たしており、多くのジャーナリストはまずデータマンとして経歴をスタートし、経験を積んだ上でアンカーマンとなるのが一般的である。 ちなみにテレビのニュース番組の司会者(ニュースキャスター)のことを「アンカーマン」と呼ぶのは、この用法が転じたものである。

研究や評価
社会に広く情報を提供する役割を担っているため、ジャーナリスト自身がしばしば研究の対象ともなる。

その人の政治的な選好や出身階級、性別などにどのような偏りがあるか、それがどのようなバイアスに結びつくか、といった研究や、個々のジャーナリストの活動や判断についての評論などが存在する。

企業等の対応
近年のインターネットの発達により、ブログなどのメディアを主な発表の場として活動するジャーナリストが増加しているが、それらのジャーナリストに対する対応は企業によってまちまちである。個人ジャーナリストに対しても積極的に情報提供を行い企業の広報活動に利用しようとする企業がある反面、個人ジャーナリストを警戒し、新聞社等の紹介があった場合のみ対応する、或いは個人の取材を受け付けないという方針を持つ企業もいる。

関連項目
評論家
記者
リポーター(reporter)
ジャーナリズム
報道
記者クラブ
コーヒー・ハウスとカフェ
東京大学大学院情報学環教育部

2009年01月14日

春秋(しゅんじゅう)

春秋(しゅんじゅう)とは、魯国の年次によって記録された中国春秋時代に関する編年体の歴史書である。儒教では、孔子の手が加わった、もしくは孔子が作ったとされ、その聖典である経書(五経または六経)の一つとされている。

その内容は王や諸侯の死亡記事、戦争や会盟といった外交記事、日食・地震・洪水・蝗害といった自然災害(伝統的には災異と呼ばれる)に関する記事などが主たるもので、年月日ごとに淡々と書かれた年表風の歴史書である。年限は上は魯の隠公元年(紀元前722年)から下は哀公十四年(紀元前481年。獲麟と呼ばれる)の二百四十二年で、記事内容は魯を中心とした歴史である。(但し、『左氏伝』に掲載されている春秋は、「獲麟」の2年後の孔子の死去まで存在する)『春秋』が扱う年代であることから、「春秋時代」という名称が生まれた。

体裁
『春秋』は、「年・時(季節)・月・日 - 記事」という体裁をとっている。

年:魯国の君主、魯公の在位による紀年が使われている。
時:季節。つまり四季の「春・夏・秋・冬」が使われている。四時の首月の上にのみ書かれ、首月(四季の初めの月。春は正月、夏は四月、秋は七月、冬は十月)に記事がない場合は同じ季節の次の月の上に書かれる。一つの季節に一つも記事がない場合は、「春正月」などと首月の上に書かれる。
月:「正月、二月、三月…」が使われる。
日:「甲子、乙丑、丙寅…」といった干支が使われる。
記事:短い句で構成され、事実の羅列に終始している。主観的な語は少ない。
王:春の一番はやい月に一度だけ書かれる文字。(春王正月、春王二月、春王三月のどれかになる)これは周王朝の暦に従っていることを示しているとされる。

例として、隠公元年・二年を挙げる(文は『左氏伝』のものに従う)。

年 四季 月 日 記事
元年 春 王正月
三月 公及邾儀父盟于蔑 (隠公は蔑で邾の儀父と盟を交わした)
夏 五月 鄭伯克段于鄢 (鄭伯が鄢で段に勝利した)
秋 七月 天王使宰咺来帰恵公仲子之賵 (周王が宰の咺を派遣して恵公と仲子への葬儀の贈り物を届けさせた)
九月 及宋人盟于宿 (宿で宋の人と盟を交わした)
冬 十有二月 祭伯来 (祭伯が来訪した)
公子益師卒 (公子の益師が亡くなった)
二年 春 公会戎于潜 (隠公は潜で戎と会合した)
夏 五月 莒人入向 (莒の人が向に攻め入った)
無駭帥師入極 (無駭が軍隊を率いて極に攻め入った)
秋 八月 庚辰 公及戎盟于唐 (隠公は唐で戎と盟を交わした)
九月 紀裂繻来逆女 (紀の裂繻が公女を迎えに来訪した)
冬 十月 伯姫帰于紀 (伯姫が紀に嫁いだ)
紀子帛莒子盟于密 (紀の子帛と莒子が密で盟を交わした)
十有二月 乙卯 夫人子氏薨 (夫人の子氏が亡くなった)
鄭人伐衛 (鄭の人が衛を伐った)
キッズ ダーツ すぎな ゼンス サイド カッド 羊の歩み ジニア テンゴリラ ハミング タイトピ すくなか ゲルマ シガレット オーガィ パーシ ヒトゲ メーション ダーパア シリカセ パワー オーテア ミステリー イアタ バクシーシ ミトラ 日本全 ハンガー グプラン インツ ゼウス ピラティ ビーチ フェース ジョッ コアラー スターチ インキャラ チューニ なんぽろ チラリ レーザー だいだい レンニン リケーション トロー ブリッチ マスアキ テンプツ ステーツ

正確な所は不明とされている。『左氏伝』に注釈を施した杜預によると、「春秋」とは春夏秋冬の中の、春と秋とを取って、「年」を現したものとされている。「春秋」の名称は、(1)も『墨子』明鬼篇に「周の『春秋』・燕の『春秋』・宋の『春秋』・斉の『春秋』」または「百国春秋」とあるように、春秋・戦国時代の諸国でこの書名を用いていたとも、(2)『孟子』離婁篇では「晋の『乗』・楚の『梼杌』・魯の『春秋』」とあり、魯の国特有の歴史書であるとの見方もあり、定説はない。

なお伝統的儒学思想の考えでは、西周の時代は諸国が歴史書を勝手に編纂することは禁じられていたとする見解もある。この場合は、魯の国に『春秋』なる書物があること自体が、罪悪であるとみなされ、『春秋』であれ他の名称であれ、何れも否定的に理解される。これらは何れも史料の少ない時期のことであるから、確論とはなっていない。

テキストと注釈
『春秋』という書物は単独では現存していない。一般に『春秋』(春秋経)と呼ばれているものは、戦国から前漢にかけて製作された「伝」と呼ばれる注釈書に包括されて伝えられたものである。現存している伝は『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』の三つであり、あわせて春秋三伝と呼ばれる。

この三伝が伝えるそれぞれの『春秋』には若干の異動が見られる。扱う年代も『公羊伝』『穀梁伝』は哀公十二年までであるのに対して、『左氏伝』の春秋が哀公十四年までである。何れの伝を選択するかによって主張が異なるため、歴代王朝で論争のまととなった。初期の論争では、漢の今文古文の論争が有名。(春秋学、今文学、古文学を参照)

『春秋』の作者と成書年代
伝統儒学では『春秋』の成立に孔子が関わったとされる。ただし、歴史的にその解釈は一様ではない。

最初に孔子の『春秋』制作を唱えたのは孟子である。孟子は堯から現在に至るまでの治乱の歴史を述べ、周王朝の衰微による乱世を治めるために孔子が『春秋』を作り、その文は歴史であるけれども、そこに孔子の理想である義を示したという(ただし、この孟子の「作春秋」にもいろいろな解釈があり、「『春秋』を講説した」とする立場もある)。

前漢の司馬遷『史記』にも似たような記述があり、孔子が「魯の史記」(原「春秋」)を筆削して『春秋』を作ったという。このように前漢の春秋学ではもっぱら『春秋』から孔子の微言大義(微妙な言葉遣いの中に隠された大義)を探ろうとする『春秋公羊伝』に基づく公羊学が隆盛した。

しかし、後漢になると、孔子を周公の祖述者とする古文学が隆盛し、『春秋』には『春秋左氏伝』による解釈学が起こった。『春秋』を周公の伝統を受け継いだ魯の史官が書いた「魯の史記」そのものと見、孔子は「述べて作らず」でそれを祖述したとする見方が一般的になった。

唐代になると劉知幾の『史通』惑経を始めてとして、『春秋』を経とすることを疑う主張も現れはじめた。北宋の王安石に至っては『春秋』を「断爛朝報」(ばらばらの官報)とし、その欠文は孔子の義が示されているようなものではなく、単なる不備だと見るようになった。一方で、春秋胡氏伝のように孔子の義を見いだそうとする立場も続けられた。

清代になると常州学派がふたたび漢代公羊学を取りあげ、『春秋』を含めた六経を改制者としての孔子が創作したものとした。

その後、近代になると雑誌『古史弁』を主宰する疑古派が現れ、孔子と『春秋』との関係を完全に否定した。現在では著作という強い主張はないものの何らかの関係を認めるもの、まったく関係ないとするもの両者がある。

近年、天文暦学の観点から新しい知見が示された。小嶋政雄は、中国の暦法が『毛詩』『尚書』などでは日月惑星を観察して日付を決める素朴な暦法しか見られないのに対し、『春秋』になると突然、高度な四分暦が使われているという点を指摘し、『春秋』は紀元前300年前後に西欧から入ったカリポス暦法によって遡って改装されたものだと述べている。

また近年では新説も提出されているが、諸説紛々として定論をみないのが現状である。

春秋学
「春秋」は極めて簡潔な年表のような文体で書かれており、一見そこに特段の思想は入ってないかのように見える。 しかし後世、孔子の思想が本文の様々な所に隠されているとする見方が一般的になった。(春秋の筆法)

例えば、「宋の子爵(襄公の事)が桓公の呼びかけに応じ会盟にやってきた。」というような文章がある。しかし実際は宋は公爵の国であった。これに対して後世の学者は「襄公は父の喪中にも拘らず会盟にやってきた。不孝であるので位を下げて書いたのだ。」と解釈している。

このような考え方によって『春秋』から孔子の思想を読みとろうとする春秋学が起こった。

前漢の武帝の時、公羊伝にもとづく春秋学を掲げた董仲舒が出て『春秋』を法家思想に変わる統治原理を示す書として顕彰した。その後、五経博士が設置され、『公羊伝』『穀梁伝』が学官に立てられていたが、新では劉歆が『左伝』を学官に立てた。後漢では左伝は学官に立てられず、もっぱら公羊学が行われたが、『左伝』に服虔が訓詁学に基づいて注をつくるなどして、やがて公羊学を圧倒した。これに対抗して公羊伝には何休が注をつけ『春秋公羊解詁』を作ったが、西晋の杜預が『春秋』経文と『左伝』とを一つにして注釈を施した『春秋経伝集解』を作り、以後、春秋学のスタンダードとなった。唐代には『春秋経伝集解』に対する疏の『春秋正義』が作られた。しかし、唐代以降、三伝(特に『左伝』)は『春秋』の注釈として否定的にとらえられるようになり、宋代になると三伝は排斥されて新注が作られた。