刑罰は過去の犯罪行為に対する応報として犯人に苦痛を与えるために行うものとする応報刑論が唱えられていた。そのうちカントが唱えた絶対的応報刑論では刑罰は悪に対する悪反動であるため、犯した犯罪に相当する刑罰によって犯罪を相殺しなければならないとしていた。しかし近代になって残虐な刑罰が批判されてきたため、刑罰が応報であることを認めつつも、刑罰は同時に犯罪防止にとって必要かつ有効でなくてはならないとする考え方である相対的応報刑論が唱えられるようになった。
近代では刑罰は犯罪を抑止する目的で設置される性格を持つという目的刑論が主張されるようになり、一般市民への犯罪抑止力等としての一般予防論と犯罪者の教育・更生・隔離の目的で犯罪者自身に刑罰を施す事で、犯罪者が再犯することを予防することができるとする特別予防論に分けられる。この刑論において死刑は犯罪者の命を奪う刑罰であるため更生を目的とした教育効果について考えることは意味はないため、死刑を適用された犯罪者は凶悪で矯正不能な者であり、永久に社会から「隔離」するための無力化効果のみを指すことになる。そのため、結果的には死刑囚が犯行を反省し、悔い改めても意味はないことになり、教育的効果は期待できないという反論もある。そのため、近代刑罰の主流となった教育刑とは異なり、死刑囚だけが原始時代から続く応報刑である処刑を受けることに対し批判がある。
日本で、死刑を合憲とした最高裁判例は、現代の刑法では忌諱される応報論ではなく、犯罪者に対する威嚇効果と無力化効果(隔離効果)による予防説に基づいて合憲している。なお、予防説では死刑は一種の必要悪であるとして、犯罪に対する反省も無く改善不能で矯正も不可能な犯罪者は、社会防衛のために死刑にするものいたしかたないとの死刑存置派からの論拠があるという[5]。実際に日本の検察側の死刑を求める求刑や裁判所の死刑判決に、死刑囚を『矯正不能な犯罪者』という表現が用いられる場合が少なくない。
なお、現実に死刑を宣告もしくは確定した死刑囚であるが、その効果は死刑囚ごとに違いがあるといえる。贖罪の手段として受け入れるもの、初めて事の重大性を認識し絶望するものもおり、この時点で死刑になることで、ようやく犯罪行為に対する罪の清算を社会が求めていると認識させることができる。だが、なかには現実を認めず無罪を主張するものや、別の感情を抱いている場合もある。実際に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の宮?勤元死刑囚も恐怖を手紙で訴えている。
たとえば光市母子殺害事件の被告人は2008年4月3日に報道機関の取材に応じ[6]、その中で「僕は死刑存置主義者ですから。終身刑も検討して欲しいと思っていますけどね。ただ判例として僕が死刑になるのは避けたい。ほかの少年少女の事件にも大きく影響するんですから」と発言した。この発言の真意は不明であるが、死刑制度が存在することを認める一方で、自身にそれが適用されることについては可能ならば避けてもらいたいとの意識が働いているといえる。また前述のように自ら望んだ結果として死刑になったような制度を悪用し自らの願望を叶えた死刑囚も存在する。
死刑制度に関する議論 [編集]
死刑および死刑制度については、人権や冤罪の可能性、倫理的問題、またその有効性、妥当性、国家としての人類の尊厳など多くの観点から、全世界的な議論がなされている(詳細は死刑存廃問題を参照のこと)。議論には死刑廃止論と死刑賛成論の両論が存在する。死刑制度を維持している国では在置論と呼ぶ、廃止している国では復活論と呼ぶ。もちろん死刑の廃止と復活は、世界中で史上何度も行われてきている。
近年では死刑は、前述のように凶悪事件に対して威嚇力行使による犯罪抑止、または犯罪被害者遺族の権利として存置は必要であると主張される場合がある。ただし前者は統計学および犯罪心理学的に死刑の有用性が証明されたものではなく、存在意義はむしろ社会規範維持のために必要とする法哲学的色彩が強い。後者は親愛なる家族が殺人被害にあったとしても、実際に死刑になる実行犯は情状酌量すべき事情のない動機かつ残虐な殺害方法で人を殺めた極少数(日本では毎年1000人近い殺人犯が検挙されるが、死刑判決が確定するのは、そのうち数十人である)であることから、菊田幸一など死刑廃止論者から極限られた被害者遺族の権利を認めることに疑問があるとしている。また、いくら凶悪なる殺人行為であっても、その報復が生命を奪うことが果たして倫理的に許されるかという疑問も指摘されている。
また、死刑執行を停止しているロシア当局によるチェチェン独立は指導者の「殺害」などがあり、死刑制度の有無や執行の有無が、その国家の人権意識の高さと直接の関係はないとの主張も存在するが、死刑制度は民主国家では廃止され非民主国家で維持される傾向にある。地理的には、ヨーロッパ、そして南米の6カ国を除いた国々が、廃止している。ヨーロッパ諸国においてはベラルーシ以外死刑を行っている国は無い(ロシアにおいては制度は存在するが執行は十年以上停止状態であるといわれる。チェチェンを参考のこと)。これは死刑制度がヨーロッパ連合が定めた欧州人権条約第3条に違反するとしているためである。またリヒテンシュタインでは1987年に死刑が廃止されたが、最後の処刑が行われたのが1785年の事であり事実上2世紀も前に廃止されていた。またベルギーも1996年に死刑が廃止されたが最後に執行されたのは1950年であった。このように、死刑執行が事実上行われなくなって、長年経過した後に死刑制度も正式に廃止される場合が多い。
欧州議会の欧州審議会議員会議は2001年6月25日に日本およびアメリカ合衆国に対して死刑囚の待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決した。この決議によれば日本は死刑の密行主義と過酷な拘禁状態が指摘され、アメリカは死刑適用に対する人種的経済的差別と、少年犯罪者および精神障害者に対する死刑執行が行われているとして、両国の行刑制度を非難するものであった。
通常犯罪における死刑が廃止されても、国家反逆罪ないし戦争犯罪によって死刑が行われる場合がある。例えばノルウェーのヴィドクン・クヴィスリングは1945年5月9日、連合国軍に逮捕され国民連合の指導者と共に大逆罪で裁判にかけられ、銃殺刑に処せられた。ノルウェーでは、この裁判のためだけに特別に銃殺刑を復活(通常犯罪の死刑は1905年に廃止されてはいたが)した。また同様にイスラエルもナチスによるホロコーストに関与したアドルフ・アイヒマンを処刑するため、死刑制度がないにもかかわらず(戦争犯罪として適用除外されたともいえるが)死刑を宣告し執行した。
中東とアフリカとアジアにおいては総じて死刑制度が維持されている。冷戦時代は総じて民主国家が廃止、独裁国家が維持していたが、現在では冷戦崩壊後の民主化と大量虐殺の反省により東欧と南米が廃止、アジアおよび中東とアフリカの一部が民主化後も維持している状態である。またイスラム教徒が多数を占める国では、イスラーム法を名目とした死刑制度が維持されているが、トルコのようにヨーロッパ連合への加盟を目指すために廃止した国や、ブルネイのように1957年以降死刑執行が行われていないため事実上廃止の状態の国もある。
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